神社と実務 第122号 現代神社と実務研究会 ( 平成27年11月 )

秋例会と忘年会の御案内

時 11月28日(土)午後1時~4時
所 讃岐小白稲荷神社社務所(JR浜松町駅前)
講師 防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官 野村佳正氏
テーマ「宗教と戦争のジレンマ〜戦争観の変化と宗教者の苦悩〜」
参加費 4000円(玉串料・忘年会費を含みます)
《忘年会》同日、散会後。近くの美味しいお店で。
*参加予定の方は事務局へお知らせ下さい。
*過日、事務局一同、講師の野村先生にお目に掛かりました。仏教系では度々なさっているそうですが、神道系講演なさるのは初めてだそうです。有益なお話に期待が膨みます。忘年会にも御参加下さる由ですので、ここからの参加も歓迎します。お誘いあわせの上、御参加下さい。

寄 稿

『敬神生活の綱領』の三つのキーワード

私は北海道神社庁網走支部の教化推進委員会委員長という立場もあり、本年は戦後七十年という節目の年に平和についてまた、靖國神社や護国神社について考える年にもなりました。そしてまた戦お後の混乱期にも拘らず、神職の諸先輩方が心血を注ぎまとめられた神職の実践要綱でもある『敬神生活の綱領』の素晴らしさに改めて頭が下がる思いになりました。その綱領の中から、三つのキーワードから現代の我々の課題を考察するヒントとしていくことを常々思っております。『敬神生活の綱領』は「神道は天地悠久の大道であって、・・・」から始まり、次につながります。

一、 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。
一、 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。
一、 大御心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。

私はこの中で、「感謝」、「世のため人のため」「祈る」の三つをとり上げて考えるようにしております。このキーワードは一般の氏子崇敬者の方にもわかりやすい言葉でもありますが、この配列はとても絶妙で「感謝」には現在を含め過去にも遡り、「世のため人のため」は現在のあり方、そして「祈る」は未来とつながる言葉として配置されています。また、これらには決して「自己」が中心ではなく「公の精神」が根底にあります。これはやはり歴史的に共同体として営んできた日本の社会構造があるのでしょう。

「自己」を主観的にも客観的にもとらえる民族性は自然と対峙するのではなく、自然との調和をはかり、対「他者」に於いては思いやりや、配慮という形で行われます。現代では、個性を伸ばすとか個人の自由という言葉が教育や社会にも使われて聞こえは良いのですが、これが過度になりすぎて「利己的」にも陥りやすい危険性をはらんでいます。

例えば、「御利益」を神社に求めることは決して悪いことではありませんが、自己中心的になり過度に求めると自分の尺度で神社や神様に対して「御利益」があるとかないとかということを平気で言うようになります。だから、私は神社や神様に対してあまりにも「御利益」ばかり言う方には不快に感じる時があります。そのような時には、「神社や神様にはまず感謝をするものであって、その感謝の念が無い方には御利益はほとんどないでしょう。」といっておきます。

ただ、もっと悪質なのは犯罪において「利己的」な場合です。振り込め詐欺のような特殊詐欺グループはなぜ子や孫を思う高齢者たちを平気で騙そうとするのでしょう。自分たちのことしか考えない人たちによって、自分以外でも思いやりのある高齢者などが被害に遭う構図は日本の精神文化の危機とも言えると思います。逆の立場で考えれば、詐欺グループは自分の親や祖父母などが被害に遭った場合の想像が出来ないという点は原因を教育や社会環境などからも考察していかねばならない問題だと思います。

「世のため人のため」という精神が「自分(たちだけ)のため」になってしてしまえば日本が日本らしい国ではなくなってしまうのです。そのためには「公の精神」の美点をしっかりと伝える責務が現代の我々にはあるのです。

その上で戦後七十年の本年、「世のため人のため」に尊い命を捧げられた英霊に「感謝」し、國靖(安)らかならんこと「祈る」神社として祀られた靖國神社また、護国神社の一般の人にも少しでもいただけるように新たな一歩を踏み出た年であってほしいと思います。最近の名前に、音とイメージのよいキラキラネームというのがありますが、昔は昔で名前に意味と願いを持たせていました「靖國神社」とはその名称の神社なのです。

ノーベル医学生理学賞を受賞なされた大村智北里大特別栄誉教授は研究自体も素晴らしいのですが、「世のため人のため」になることしたいという考えの下で受賞なされたことは日本人の精神としても素晴らしく感じたかたは多かったのではないでしょうか。
(置戸神社権禰宜 藤川尚史)

歓迎新会員

埼玉県川口市    芝大神宮嘱託 町田 実 様

書  棚

o水村美苗著『増補日本語が滅びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩文庫、460ページ、950円+税)
米国で育ったのにフランス語の環境で暮した作家が、巨視的な分析で日本語への提言を展開している。増補「文庫本に寄せて」は五十頁を超し、ここには〈日本語を滅ぼさせてはならぬ〉という趣旨が強調されていて共感を覚える。
「今、日本人の十人に九人は高校に進学するが、実は高校の(国語教育の)状況はもっとひどい。文科省の拘束からはより自由になるが、国語の授業時間数は増えるどころか、国語教育に力を入れている高校をのぞけば、かえって逆である。なかにはインターナショナル・スクールでもないのに、英語には週七時間を割き、国語には週二時間しかないという高校まである。ハイスクールを通じてふつう週五時間国語の授業があるアメリカ人にとっては、理解に苦しむ状況である。また日本の大学の状況は、アメリカの大学から見ても、さらにひどい。アメリカの大学では「English101」と呼ばれるような必須科目が一般的にあり、大学一年生でそれを受講する。だが、日本の大学ではそれに該当するような国語の必須科目はない。(中略)そして、それに加えて日本の国語教科書の内容の薄っぺらさ。(本文でも述べたが、私が経験したアメリカの国語の授業では、ふつう教科書を使わず、一冊づつ本を読んでいった。)そして、その内容の薄っぺらさが象徴する、古典を読み継ぐことにかんするまったくの無関心。」「戦後の日本の知的風土を皮相的にでも理解してもらうのは、書かれていることが意味を成すためにも、英語圏の偏った報道を少しでも修正するためにも必要だと思った。」この憂いは教育行政の担当者に届くだろうか。

o河出書房新社編集部編『やまとことば 美しい日本語を極める』(新潮社、205ページ、1300円+税)
各界名士のエッセイや評論をダイジェストしたもの。田辺聖子「よういわんわー古語について」、佐々木幸綱「オノマトペの先進地〈俳句〉」、大野晋・丸谷才一「感動詞アイウエオ(対談)」、山田俊雄「日本語語彙―固有語と外来要素」折口信夫「古語復活論」、柳田國男「子供と言葉」、古橋信孝「ことばの古代生活誌(抄)」は読ませるが、他はタイトルとずれがある感じだ。